宮津エリア
あんじゅひめ (舞鶴市・下東/宮津市・由良)
小説『山椒太夫』に登場する安寿姫と厨子王丸の悲話。宮津市には安寿姫が毎日汐汲みをしたという汐汲浜や、身代わり地蔵があるほか、舞鶴市の下東には安寿姫の亡骸を埋めたという安寿姫塚など多くの遺跡が残っている。
伊根・京丹後エリア

おののこまち (大宮町・五十河) 小町公園
平安時代の六歌仙の一人で絶世の美女として知られる。四位深草少将の猛烈な求愛に疲れはて、この地に隠れ住んだと伝わる。小町のお墓や、小町を開基と伝える妙性寺などがある一帯は、小町公園として整備されている。
はごろもてんにょ (峰山町磯砂山・乙女神社)
峰山町には二つの羽衣伝説がある。ひとつは「丹後風土記」にある日本最古の伝説。もう一つは羽衣を隠した狩人「さんねも」と結ばれた天女が 3人の娘をもうけたが、再び天上へ戻っていったという物語。娘の一人を祀った乙女神社に参拝すると、美しい女の子が授かると伝えられている。
はしうどこうごう (丹後町・間人)
用明天皇の皇后で、聖徳太子の母后。大和の国が蘇我氏と物部氏との争いで揺らいでいたころ、現在の間人にあたる大浜の里に移る。里人に心温まるもてなしを受けた皇后は感謝の意を込めた歌を詠み、この地に「間人(はしうど)」の名を与える。村人は皇后が退座された折に「間人(たいざ)」と呼ぶようになったという。
おとひめ (伊根町・浦島神社)
童謡でも有名な浦嶋伝説。伊根町の浦嶋神社には、乙姫が持たせたという玉手箱や乙姫の小袖、龍宮を描いた絵巻物などが残されている。
しずかごぜん (網野町・静神社)
源義経の側室。義経が兄頼朝と不仲になり、京を脱出。義経の死後、故郷の網野町に戻ったが20余歳という若さで人生の幕を閉じた。薄幸の静御前を哀れみ、小さな神社が建てられた。
ほそかわがらしゃ (弥栄町・味土野)
明智光秀の娘。丹後宮津城主細川忠興に嫁いだが、本能寺の変により、弥栄町味土野に幽閉された折、侍女からキリスト教の話を聞き、洗礼を受けて「ガラシャ」の名を授かった。「細川忠興夫人隠棲地」と刻まれた碑が立つ。

